鹿島市の概要

鹿島市のあらまし

概況

本市は、佐賀県の西南部に位置し、東には有明海が広がり、西は多良岳山系に囲まれ自然環境に恵まれたところです。令和2年国勢調査で世帯数10,029世帯、人口27,915人となっています。交通体系は国道207号が長崎本線と並行して走り、福岡市からJR長崎本線で約1時間の距離にあります。詳しくは鹿島市へのアクセスでご案内しています。

 就業者による産業別構成は、平成27年国勢調査で第一次産業14.2%、第二次産業25.7%、第三次産業が60.1%の割合です。第一次産業は減少傾向にありますが、就業人口の割合が県内10市で最も高いことが本市の特徴です。
観光面においては、年間280万人の参拝客が訪れる日本三大稲荷の一つの祐徳稲荷神社や有明海の自然を生かした地域おこしのイベント「ガタリンピック」などがあります。

地勢(基本データ)

面積

 112.12平方キロメートル  周囲 61.9キロメートル 海岸線 19.4キロメートル

[方位]東[経度・緯度]極東130度10分18秒[地名]箱崎[距離]11.5キロメートル

[方位]西[経度・緯度]極西130度02分22秒[地名]殿木庭南東方の山[距離]11.5キロメートル

[方位]南[経度・緯度]極南 33度00分00秒[地名]平谷[距離]16.4キロメートル

[方位]北[経度・緯度]極北 33度07分26秒[地名]土井丸[距離]16.4キロメートル

主要山岳の標高

  • 経ケ岳・・・1075.7メートル
  • 琴路岳・・・501.2メートル
  • 浄土山・・・500.9メートル
  • 蟻尾山・・・192.0メートル  資料 建設省国土地理院

主要河川の総延長

  • 塩田川・・・26,135メートル
  • 鹿島川・・・10,695メートル
  • 中川・・・12,784メートル
  • 浜川・・・10,214メートル

鹿島の歴史(大昔~近代)

儀助平洞穴(鹿島市古枝)からは、縄文時代前期のものとされる条痕文や押型文などの土器が出土していて、多良岳山麓の一部にはすでに数千年前から人々が居住していたことがわかっています。

弥生時代には鹿島川・中川・浜川や七浦海岸等の扇状地帯に遺物の分布が見られ、弥生人は有明海の魚介類をとって生活していた漁労民ではなかったかと考えられています。

鹿島の地名が初めて史書に登場したのは、「延喜式」(927年)という書物で「肥前国 鹿嶋馬牧」とあり、当時の駅舎の役割をになっていたと考えられています。また、現鹿島市の大部分は「肥前風土記」にある藤津郡の「能見郷」に属していたと思われます。

中世以降は、古枝に本拠を置く大村氏がこの地に勢力を振るっていましたが、戦国時代になると有馬氏の勢力圏となりました。

近世になると、竜造寺氏の支配を経て、鍋島氏に政権が移ることになりました。鹿島支藩は今からおよそ400年前の1609年に初代藩主鍋島忠茂が藤津郡内に知行を許されたことから始まり、以後13代にわたり鹿島の地を治めてきました。明治時代以降は中央政府の下部組織としての地方自治が始まり、郡制・町村制により、めまぐるしい統廃合を重ねてきました。

近代になると「町村合併促進法」(昭和28.10.1施行)により、昭和29年4月1日に当時の鹿島町・能古見村・古枝村・浜町・鹿島村の5つの町村が合併し鹿島市制がスタートしました。翌30年3月1日に当時の七浦村(伊福を除く)が合併し、現在の鹿島市のかたちができあがりました。

市の木、市の花、目指す都市像、市章

市の花

サクラ

市の木

キンモクセイ 

目指す都市像

「みんなが住みやすく、暮らしやすいまち」

 

市章

鹿島市の市章

   

 


「かしま」の「か」を図案化したもの。円は融和と団結を意味し、頂点の尖りは永久の向上をあらわしているもので、発展と躍進を全体でまとめたものです。

 鹿島市民憲章

鹿島市は、多良岳と有明海の自然の恵みによってはぐくまれた伝統ある城下町です。
わたくしたちは、「ふるさと鹿島」をより豊かな住みよい都市にするために、この市民憲章を定めます。 (昭和54年4月1日制定)

一、花と緑を愛し、伝統をいかして美しいまちにしましょう。
一、知識と教養を深め、清新な文化のまちにしましょう。
一、感謝と思いやりの心で、うるおいのあるまちにしましょう。
一、明るく元気に働き、活力のあるまちにしましょう。
一、秩序やきまりを守り、安全で快適なまちにしましょう。

鹿島市高齢者憲章

私たち市民は、高齢者が家庭や社会で尊重され、生きがいとゆとりのある健康長寿と福祉のまちづくりを目指し、この憲章を定めます。(平成18年3月制定)

一、高齢者を尊敬し、みんなでささえあうまちをつくりましょう。
一、高齢者が、生涯を通じて学び、生きがいのある暮らしができるまちをつくりましょう。
一、高齢者すべてが、心身ともに健やかに、自立した生活ができるまちをつくりましょう。
一、高齢者のゆたかな知識と経験を生かし、社会の一員として活躍できるまちをつくりましょう。
一、高齢者が安心して暮らせるよう、保健・医療・福祉の充実したまちをつくりましょう。

鹿島市民の歌

作詞 古賀敬梧 補作 野田尚司 作曲 伊東直樹 (昭和60年4月6日制定)
一、
はろばろと 多良の山なみ
おう みどりの
麓 わがまち ふるさと鹿島
友よ いざ 手をつなぎ
友よ いざ 歌おう
峰の高みへ 明日への希望

二、
有明に 潮は満ちきて
おう 日はのぼる
磯辺 わがまち ふるさと鹿島
友よ いざ 手をつなぎ
友よ いざ 歌おう
寄せてはかえす 明日への波を

三、
咲き匂う 丘の桜よ
おう 赤門の
城下 わがまち ふるさと鹿島
友よ いざ 手をつなぎ
友よ いざ 語ろう
古い 歴史よ 明日への力

お問い合わせ

広報企画課
〒849-1312 佐賀県鹿島市大字納富分2643番地1
TEL:0954-63-2101
FAX:0954-63-2129

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