面浮立の分布と起源
面浮立(めんぶりゅう)は、佐賀県を代表する民俗芸能として全国的にも有名ですが、分布は七浦地区を中心に鹿島市、藤津郡、杵島郡、武雄市、多久市、小城郡そして佐賀郡の一部にまで広がっています。七浦地区に最も多く、離れるにしたがい少なくなります。各地区の面浮立の伝承によると、やはり七浦の面浮立が各地に広がったのは間違いがないようです。
この面浮立の起源には色々な説があります。例えば大内氏や大友氏との合戦に由来するというもの、豊臣秀吉の朝鮮の役に由来するというものなどがあります。なかでも約400年ほど前に神埼郡の田手縄手で行われた大内氏と龍造寺氏との戦に由来するという説がよく言われるようです。この戦いは、中国地方から侵略してきた大内氏を、竜造寺氏が迎え撃った戦いだったのですが、龍造寺氏は軍勢が少なく圧倒的に不利でした。負け戦を覚悟したそのとき、配下であった鍋島平右衛門の一族郎党百騎余りが、シャグマをかぶり奇襲をかけ撃退しました。そのとき踊った戦勝踊りが元になっているという説です。
いかにも勇壮で、人々が好みそうな由来ですが、残念ながら、記録には「シャグマをかぶって」とは書いてありますが、「鬼面を着けて」とは書いてありません。また芸能の中心地である七浦と、神埼とのつながりがよく分かっていません。さらに七浦のいくつかの地区には、「面浮立は諫早から伝わった」という伝承も残っています。おそらくは農耕に伴って、耕作に害をする悪霊を封じ込め、豊作を願う神事として面浮立ができたのではないでしょうか。
面浮立の種類
一ロに「面浮立」と言ってもいろいろな種類があります。現在の分類では3つに分けるのが普通です。最も古いかたちを残しているといわれる「音成(おとなり)面浮立」の流れを第1類、鬼面芸として完成された芸と構成を持っている「母ヶ浦(ほうがうら)面浮立」の流れを第2類、そして諫早や長崎地方に分布している踊りとしての色合いが濃くなった面浮立を第3類としています。その分類からみると鹿島には音成系と母ヶ浦系の2種類の面浮立があるということです。音成面浮立と母ヶ浦面浮立はそれぞれの代表的な面浮立として、いずれも佐賀県の重要文化財に指定されています。
それでは、この2つの面浮立は具体的にはどのように違っているのでしょうか。一目で分かる違いは衣装が異なっていることです。音成の衣装は濃紺一色で帯と太鼓のひもが黄色でアクセントになっているのに対し、母ヶ浦は波といかりの華やかな模様の衣装になっています。この他の面浮立も面や衣装、ひもが微妙に異なります。
また面浮立には多くの曲目がありますが、音成の方に古い要素を残す曲目が多いのに比べ、母ヶ浦は後からいくつかの新しい曲目が付け加えられ、より華やかになっています。鬼(かけうち)の所作としては、音成が腰を落とし体に添って手を上げ下ろしするなど、直線的な動きが多いのに比べ、母ヶ浦は手の振りや所作がしなやかになり、演技自体も複雑で洗練されたものになっています。諫早など長崎県に分布する第3類はこの傾向がより強まり、踊り的なものになります。現在、鹿島市には音成系より母ヶ浦系の面浮立が多く分布しています。
面浮立の芸能
次は面浮立の芸能について紹介しましょう。
それぞれの面浮立で少しずつ内容が違いますので、最も古い形を残しているといわれる「音成面浮立」を中心に紹介します。芸能全体のあらすじは長崎純心大学の米倉利昭先生によると、次のようなものだそうです。まず、いろいろな災い、特に農耕の災害をもたらす悪の化身として、「鬼(かけうち)」が登場します。そして芸能には登場しませんが、神社の神様がいます。この鬼は、神様と対決するために神社に向かいます。
そして神社では神様と鬼の壮絶な戦いが繰り広げられるのです。そしてとうとう鬼は神に負け、改心します。鬼は今までの償いに法楽を踊り、神様を楽しませます。その後、鬼は神の使いとなって里に下り、家々に幸いをもたらすのです。神前での芸能を終えた鬼が、地区の家々を回るのはこのような訳があるのです。このように面浮立にはいろいろな災いを取り除き、豊作祈願、家内安全をはじめとしたいろいろな幸いが訪れますように、という願いが込められています。
面浮立は一般的に大きく分けて3つの部分から構成されています。鬼が神前に乗り込むまでの道中を『奉願道(ほうがんどう)』(写真右)、神前での神事的な芸能いわゆる神との戦いを「神の前(かみのまえ)」、余興的な要素を持っている法楽(ほうらく)の「みつがさね、しんぶりゅう、おのだけ」などの3つです。古い要素を残す音成面浮立はこの法楽の部分の曲がなく、他の地区の面浮立は、この法楽の部分に多くの曲目が取り入れられています。
また地区によって異なっていることが多いのもこの法楽の部分です。
面浮立の出演者
面浮立はいろいろな役割の出演者で成り立っています。おもな出演者の役割と衣装などについて説明しましょう。「鬼(かけうち)」は、面浮立の主役とも言うべき役割です。これまで説明したようにシャグマのついた鬼の面をかぶり、腹に小太鼓をかけて打ちながら踊ります。
鬼の人数は決まっていません。だいたい男性20~40人で踊りますが、10人以下で踊ることもあります。音成面浮立は濃紺(のうこん)の木綿の襦袢(じゅばん)と股引(ももひき)を着て、黄色の帯しめをつけます。母ヶ浦の面浮立などは「波に碇(いかり)」などの模様のついた法被(はっぴ)と白い股引を着ます。
「かねうち」は女性です。2人1組で10人(5組)前後で出演します。1つの鉦を2人で持ち、拍子に合わせて2人同時に鉦をたたきます。衣装は、赤い襦袢の上に青い前だれを付け、その上に浴衣を着流します。そして頭に花笠をかぶって、手ぬぐいで顔をおおっていることが特徴です。『大太鼓打ち』は男性1人です。名前のとおり、大太鼓を打つ係です。衣装は鬼と同じですが、頭にかねうちと同じ花笠をかぶります。『笛吹き』も名前のように笛を吹く係です。男性数人で構成します。衣装は羽織(はおり)、袴(はかま)を着ます。
『烏毛(とりげ)』大名行列の一部を模したものと考えられますが、先に麻の毛のついた長い棒(烏毛)を2人1組で受け渡しながら踊るものです。衣装は音成の場合はかねうちと同じですが、母ヶ浦では大名行列の奴(やっこ)のような衣装をつけています。
面浮立の起源(論文)
最近、佐賀県立博物館の学芸員で鹿島市文化財保護審議会委員の山崎和文さんが、面浮立の起源について論文を発表されました。その説を簡単に紹介して面浮立の説明を終わりたいと思います。
鹿島市の龍宿浦区に、鹿島市の重要文化財に指定されている面浮立の古面1対が代々伝えられています。この古面は現在の面と作り方や形などいろいろな点で異なり、どうやら能に使う能面との共通性が強いことがわかりました。山崎氏によると、この龍宿浦区の面は追儺(ついな)とよばれる鬼追い行事に使われた可能性があるそうです。
面浮立の起源は五穀豊穣を祈る農耕のお祭りであった可能性が高いことを述べましたが、山崎氏は「面浮立は、追儺と呼ばれる鬼追い行事を基盤として、それが浮立化された芸能ではないか」と考えておられます。鬼追い祭りといえば、現在、太良町の竹崎観世音寺に、修正会鬼祭りが伝えられています。この祭りには鬼の面は使われませんが、竹崎観世音寺は大変に信仰を集めているお寺ですし、その影響もあるのかもしれません。
面浮立にはまだ謎に包まれた点も数多く残されていますが、そこもまた面浮立の魅力となっているのではないでしょうか。ご存知のように面浮立は佐賀県を代表する民俗芸能として特に有名です。現在、鹿島市内には、中断中のものも含めて25カ所に残されていますが、面浮立を伝承していくためには、多くの方の協力が必要です。しかし近年は人員が確保できず、役員の皆さんが大変苦労されている話をよく耳にします。ぜひ私たち市民一人一人の力で、このすばらしい民俗芸能を子孫に末永く伝えていきたいものです。
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